(美麗島事件の法廷にて)1979年12月10日、高雄で美麗島事件が起こった。当時、アメリカや世界各国から、又、国外にいる台湾のエリート達からも蒋経国に、公開裁判や死刑反対の意見がだされ、最終的に美麗島事件は公開裁判となった。美麗島事件はその点で幸運だった。海外からの圧力がなければ、我々の時代と同様、秘密裁判だったかもしれない。政府は、この事件で民主化の動きを一網打尽にしようとしたが、逆に公開裁判とせざるを得ない状況となった。
相変わらず検事と裁判長は上で、弁護人は下だが、この裁判では、弁護人は、公設ではなく、のちに総統となる陳水扁や、駐日大使の謝長廷らの民間弁護人が弁護を務めた。傍聴席が出来たのも、この美麗島事件が公開裁判となったことの成果だ。
(後ろに貼ってある)写真には、起訴された8人のうち、7人しか写っていない。林義雄は、母子殺害事件の処理の為、一時釈放されていたからだ。呂秀蓮、陳菊もいる。施明徳は笑っている。後ろにいるのは憲兵。傍聴者は海外からも来て、連日メディアで報道された。
今まで、暴動だと思っていた人々は、施明徳らが、台湾の発展を心から願い、自分たちの考えを堂々と語ることに感銘を受け、政府の(民主化を抑えようとする)狙いとは逆に、民主化の動きが一気に高まった。施明徳などは英雄視されるようにすらなった。
悪いことをしたやつをかくまった「別荘」、軍事法廷や、仁愛楼、美麗島事件の公開裁判を見ると歴史の流れが見えてくる。一般的に、蒋経国はオヤジよりも開明的で民主的だと言われているが、蒋経国こそが白色テロの張本人である。
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時間があれば是非緑島の方もご案内させていただきます。
以 上