友人の柘植康成さんが國家人權博物館の訪問記を執筆されました。白色テロ経験者の蔡焜霖さんによるガイドで貴重なお話を聞けたようです。
充実した訪問記なので、関係者の許可をいただいた上でここに掲載いたします。
2018年12月台湾訪問の際、蔡焜燦さん(2017年7月逝去)の息子さんで、物流業界で仕事をしておられる清水さんの紹介で、蔡焜霖さん(蔡焜燦さんのご実弟)をご紹介頂き、2018年5月にOPENした人権博物館(新店市)を二時間にわたりご案内頂きました。
以下は、蔡さんのお話を中心に、小職がほんの少し説明をつけたものです。台湾の事は多少は知っているつもりでしたが、ここまで人間の尊厳を踏みにじるような行為が、当時の台湾で行われていたとは全く知りませんでした(ウイグルでは、まさに現在、中国政府による100万人単位の弾圧が行われているようですが)。
是非、じっくりお読みください。内容に関するご意見、ご指摘は大歓迎です。
日時 | 2018年12月21日(金)14:00~16:00 |
場所 | 国家人権博物館 白色恐怖景美記念園区(元 景美軍法処看守所) |
参加 | 蔡焜霖氏、富田啓一朗氏、柘植康成(文責)他 |
蔡焜霖氏について
1930年台中清水生まれ。成績優秀で、高校時代参加した「読書会」が「共産党外郭団体」とみられ、1950年逮捕、緑島に送られ、「新生訓導処」(別名「緑洲山荘」)で10年過ごす。1960年出獄後、結婚。東方出版社に入り、子供向けの雑誌出版に従事。師範学校で教師の資格を取るも、「前科」の為、取り消される。その後、淡江文理学院の夜間部で学び、日本の漫画の海賊版の出来高払いの翻訳に従事(北京語は緑島で習得)。1966年に「王子雑誌半月刊」を創刊。1968年8月、世界少年野球で優勝した日本(和歌山)の選抜チームを7-0で下し、紙幣のデザインにもなっている「紅葉少棒隊」(ブヌン族)の支援も行う。国泰人寿教育センターを経て、国華広告で松下電器担当のコピーライターに。国泰美術館長、董事長秘書など。実兄は、司馬遼太郎を案内した「老台北」こと蔡焜燦氏。日本語は勿論完璧。