李登輝元総統の沖縄訪問と御神酒の秘話

1945年6月23日、沖縄守備軍司令官の牛島満大将らが摩文仁の軍司令部で自決し、沖縄における組織的な交戦が終了しました。

毎年この日には摩文仁の平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が行われています。

今年の6月23日、平成最後の沖縄全戦没者追悼式は沖縄と台湾の関係にとって特別な日になりました。

この日にあわせて開催される台湾人戦没者慰霊碑の除幕式に参加するため、李登輝元総統が沖縄を訪問しました。

今回はこの除幕式で使われた御神酒(タイチュウ六十五号)が結ぶ台湾と沖縄の不思議な縁のお話です。

目次

台湾人戦没者慰霊碑

摩文仁の平和祈念公園には、戦没者の出身地別に慰霊碑が建立されています。

国内の都道府県はもちろん韓国人慰霊塔もあります。

しかし戦後長い間、台湾出身者の戦没者慰霊碑はなかったのです。

一般財団法人 日本台湾平和基金会の許光輝理事長は台湾出身者の慰霊碑がないことに疑問を持ち、5年ほど前から慰霊碑建立の活動を進めていました。

そして2016年6月25日に第一期工事が竣工し、竣工式には蔡英文総統の揮毫も寄せられました。そして今年6月24日に第二期工事として全工程が完了しました。

李登輝総統の慰霊訪問

第二期工事では慰霊碑が建立され、6月24日に除幕式が行われました。

建立された慰霊碑には李登輝元総統が「為國作見證」と揮毫しました。

それだけでなく李登輝元総統は95歳という高齢にもかかわらず、除幕式に参列するために沖縄を訪問しました。

除幕式の挨拶で李登輝元総統は次のような沖縄と台湾の縁を紹介しました。

1945年2月、沖縄戦が始まる直前のことです。台湾の基隆などから900トンもの台湾米が沖縄へ運び込まれ、県民へと配給されました。

それによって、多くの命が生きながらえたとも聞きます。

戦争の犠牲者として平和の礎に刻まれた、34人の台湾人のなかには、もしかしたらこの食料の配給業務に携わりながら命を落とした人がいたかもしれません。

こちらの記事でも紹介しましたが、台湾米(蓬莱米)は日本統治時代に台湾の風土にあうように品種改良された米です。

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日本人が台湾で品種改良した米が、飢えから沖縄の人々を救ったと言えます。

知られざる蓬莱米「台中65号」と沖縄の縁

慰霊碑の除幕式で使われた御神酒は「タイチュウ六十五号」という銘柄が使われました。

この日本酒は蓬莱米で最も有名な「台中65号」という品種を現代に復活させて酒米として醸造したものです。

台湾人戦没者慰霊碑と同じように日本と台湾の絆を現代に蘇らせた品と言えます。

除幕式の神事にこれ以上ふさわしい酒はないでしょう。

実は筆者は許光輝理事長から「『タイチュウ六十五号』を購入出来ないか」と相談されていました。

しかし「タイチュウ六十五号」は非売品であるため、一般には出回っていませんでした。

そこで筆者の手元にあった4本の「タイチュウ六十五号」のうち、3本を急遽沖縄へ送り御神酒になったのです。

「タイチュウ六十五号」と陳韋仁さん

「タイチュウ六十五号」を復活させたのは島根県在住の台湾人蔵人・陳韋仁さんです。

陳韋仁さんは島根大学に留学中に日本の地酒と出会い、その甘みと香りに魅了されて日本で杜氏になる決意をしました。

そして「台湾と日本の架け橋に、日本酒を通して貢献したい」という想いから、台湾で普及・栽培された「台中65号」を使ったオリジナルの日本酒造りに挑みました。

「台中65号」を使った日本酒造りは簡単ではありません。

まず陳韋仁さんは原料となる「台中65号」を栽培するために、種籾を探すことから始めました。

最初は大学の種子庫を探しましたがダメでした。

しかし種籾は意外なところにありました。沖縄です。

沖縄では1934年から1995年まで奨励品種として「台中65号」が作られており、今でも少数の農家が栽培を続けていました。

陳韋仁さんは沖縄の農家から種籾を入手して地元で栽培し「タイチュウ六十五号」を完成させたのです。

沖縄の台湾人戦没者慰霊碑の御神酒は、沖縄に残っていた蓬莱米「台中65号」を用いて台湾人の手によって作られたのです。

そして蓬莱米「台中65号」は日本統治時代の台湾で日本人の手によって作られたものです。

なんと不思議な縁でしょう!

温故知新

許光輝理事長や陳韋仁さんの活動は、日本と台湾が同じ歴史を歩んだ日々を思い起こします。まさに「故きを温めて新しきを知る」です。

「日本は台湾を二度捨てた」と言われることがあります。

終戦による台湾放棄と日中共同声明のことです。

過去の歴史を変えることは出来ませんが、歴史に学び、これからの歴史を作ることは現代に生きる人々の力で出来ます。

失った繋がりを嘆くだけでなく、新しい繋がりや縁を紡ぐことが現代に生きる私たちの使命ではないでしょうか。

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