2014年に台湾で公開された映画「KANO」は、日本と台湾の繋がりを再確認するきっかけとなった。
今回はKANOをきっかけとして、85年前の甲子園決勝戦を再現した日台野球交流戦を紹介したい。
詳細は拙著の電子書籍を参照。
KANOは日本統治時代の1931年、台湾嘉義市にある嘉義農林学校(嘉農、現在の嘉義大)の野球部に日本人監督(近藤兵太郎)が赴任し、甲子園を目指す、実話に基づいた映画である。
それまで1勝も出来ない弱小野球部だった嘉農だが、近藤監督の指導により見る見る強くなり、遂には台湾代表として甲子園に出場する。甲子園でも嘉農の快進撃は続き決勝戦まで勝ち残った。
惜しくも決勝戦で敗れ準優勝に終わったが、このとき甲子園決勝を戦った相手が名古屋市にある中京商業学校(現在の中京大学付属中京高校)である。
嘉農の活躍を観た作家の菊池寛は朝日新聞のコラムで「涙ぐましい……3民族の協調」と題して次のように綴った。
「僕は嘉義農林が神奈川商工と戦った時から嘉義びいきになった。内地人、本島人、高砂族という変わった人種が同じ目的のため協同し努力しておるという事が何となく涙ぐましい感じを起こさせる。実際甲子園に来てみるとファンの大部分は嘉義びいきだ」
このときの甲子園決勝戦を再現すべく、中京大と嘉義大が動いた。
実はこの時の甲子園は中京大にとっても特別な大会だったのだ。
嘉農との決勝戦で投げた中京大中京エースの吉田正男投手は、春夏甲子園あわせて6季連続で出場し、通算23勝の甲子園歴代最多勝をあげた。現在でもその記録は破られていない。
他にも不思議な縁があるが、詳しくは拙著をご参照いただきたい。
様々な問題を乗り越え、甲子園決勝戦の再現戦は2016年に名古屋で、2017年に嘉義で実現した。
KANOは単なるヒット映画の枠を越え、日本と台湾の縁を掘り起こした。
またこの縁の象徴として中京大と嘉義大の野球交流戦を実施するために奔走した日本と台湾の関係者に心より敬意を表したい。