「台中65号」という米をご存じでしょうか?
台中65号は日本統治時代に台北帝国大学の磯永吉教授と台中農事試験場の末永仁技師が10年の歳月をかけて開発しました。日本統治時代の台湾で品種改良された日本米・蓬莱米の中でも特に有名な品種で、開発者の功績をたたえて許文龍氏が台湾大学に2人の胸像を贈っています。今回は台中65号を中心に日本と台湾のお米が繋ぐお話しです。
ちなみにこの台中65号を使って日本酒を造ろうという試みが島根県在住の台湾人・陳韋仁さんの手で行われています。クラウドファンディングで資金集めをしているので、興味がある方はぜひ協力してくださいね。
2018年に出来た台中65号の日本酒は、沖縄県にある台湾人戦没者慰霊碑の神事でお神酒として供されました。
2019年は生酛(きもと)造りで生産するそうです。
台湾の米を内地へ!
20世紀初頭、日本国内は深刻な米不足でした。児玉源太郎台湾総督は台湾で生産した米を内地に送り、米不足を台湾から支援する方針をとりました。
しかしここで問題がありました。内地の米は現在の日本で食べられているのと同じジャポニカ米であるのに対し、台湾で生産しているのはインディカ米でした。単純に内地米を台湾で育てると日照時間や気温の関係で、芽が出ない、大きさがバラバラ、葉っぱが少ないなどの問題が発生するのでほとんど生産できませんでした。唯一内地米を生産出来たのは九州と気候が似ている大屯山(陽明山国家公園)だけで、内地の米不足を補うには全く足りませんでした。
そのため台湾米を内地向けにするための品種改良が進められました。
廣田亀治が生んだ亀治米 – 痩せた土地と病気に強い米
少し時代が遡って1870年(明治3年)、島根県安来市の廣田亀治(ひろたかめじ)が「縮張」という品種の米から選抜し、亀治米を開発しました。
化学肥料がない当時は、水田にレンゲの花を咲かせてから耕作していました。レンゲに含まれる窒素が肥料となり、痩せた田を肥やし収穫量が増しました。しかし多用すると稲熱(いもち)病を発生させ、稲の根を腐らせて収穫出来なくなる危険も含んでいました。
廣田亀治は痩せた土地にも育ち、稲熱病にも強い品種を作るために改良を繰り返し、出来た稲の特性を数年かけて固定して亀治米が出来ました。
米のサラブレッド・神力米
一方、1877年(明治10年)、兵庫県揖保郡御津村の丸尾重次郎が「程吉」という品種の稲の先端が特徴的なものを3本見つけ、これを選別して翌年以降作付けしました。すると収穫量が他の稲と比べて25%以上も多かったのです。しかも米質が良く、大粒で光沢がありました。
丸尾重次郎はこの品種を「器量好」と名づけましたが、後にこれだけ収穫が多いのは神様の力添えがあったからだろうと考え、「神力」と改名しました。
これが神力米の由来で、明治時代には「愛国」「亀ノ尾」と並ぶ米の三大品種と言われました。
その後も改良が続けられ、いまの「コシヒカリ」や「あきたこまち」が生まれました。
蓬莱米のエース・台中65号の誕生
台中65号はこの亀治米と神力米を交配させて出来ました。
稲熱病になりにくいだけでなく熱い日差しにも強く、二期作もできる台中65号はまさに台湾の気候にあった品種で、戦後は東南アジアでも米の品種改良に使われました。
台中65号と現代の日本米
ところで日本の米の品種別作付け割合トップ10は次の通りです。
- コシヒカリ 36.2%
- ひとめぼれ 9.6%
- ヒノヒカリ 9.1%
- あきたこまち 7.0%
- ななつぼし 3.5%
- はえぬき 2.8%
- キヌヒカリ 2.5%
- まっしぐら 1.8%
- あさひの夢 1.6%
- ゆめぴりか 1.5%
トップ10合計 75.6%
※平成28年産 水稲の品種別作付動向について, 公益社団法人 米穀安定供給確保支援機構
トップ10の品種のルーツを探ると、いずれも神力米にたどり着きます。つまり現在日本で食べられている米のほとんどが、台中65号と親戚関係なのです。
台中65号は品種改良の現役選手
さらに現在の日本でも台中65号から品種改良が続けられています。
(独)農研機構 作物研究所が2016年に登録した「やたのもち」というモチ米は台中糯70号(1984年台湾で登録)という台中65号にルーツを持つ台湾のモチ米が親になっています。やたのもちは固くなりにくいため、大福などの和菓子作りに適しています。
日本米を交配させて出来た台中65号は台湾の稲作を支えた後、台湾で独自の発展をして日本に戻ってきたのです。
台中65号にルーツを持つ米は、白米で食べる以外にも冒頭で紹介した日本酒や大福など様々な食べ方をされています。
まさにDNAの二重螺旋構造のように、日本と台湾で共に進化しながら、時に両国をまたいで相互作用しているのです。日台交流のあるべき姿を体現していると言えるのではないでしょうか。