霊聖堂:火葬場の鬼から神様へ

屏東縣東港鎮に霊聖堂という廟がある。
この廟があるのは日本統治時代に火葬場があった場所で、付近には東港海軍航空隊の水上飛行場もあった。

日本統治時代以前の台湾には死者を火葬する習慣はなく、火葬場は日本人が作ったのが始まりだ。
伝統的に台湾人は亡骸を焼くという行為を忌み嫌っていたため、火葬場は不浄の場所とされた。
戦後もこの近くでは火葬場の鬼が暴れているため「夜になると軍事訓練をする兵士の軍靴の音が聞こえる」「交通事故が頻発する」と伝えられていた。

ある日、この近くの廟を管理していた陳賢源氏の元に3人の日本兵の霊魂が現れた。
3人の名前は三船太郎、山下敏郎、山下久美。
彼らは陳賢源氏に「戦時中に搭乗した駆逐艦がガランピ岬(台湾最南端)沖で米軍に撃沈され、自分を含めて300人の兵士が戦死した。その兵士達を祀ってほしい」と訴えた。
当初、陳賢源氏は火葬場での祭祀に抵抗があった。
台湾人の立場からすると、付近に災いをもたらす火葬場の鬼と関わりたくなかったのだ。

しかし3人に加え、自ら管理する廟の神様からも彼らを祀るよう頼まれた。
神様は「戦死した兵士を供養する人がいないため、付近に災いをもたらすのだ。兵士を供養すれば怪奇現象は収まるのだ」と諭した。
そこまで言われては仕方ないので、火葬場に骨壺と香炉を置いて線香を上げて祀った。
火葬場で祭祀を行う陳賢源氏を「おかしな奴だ」「気がふれたのではないか」と街の人は噂した。
当初はしぶしぶ祭祀していた陳賢源氏だが、次第に「火葬場の鬼」と親しくなった。
すると徐々に火葬場付近の怪奇現象は起きなくなったのだ。

陳賢源氏が祀りはじめて3年ほど経ったとき、現在の霊聖堂を建てて神像を奉納するに至った。
現在では霊聖堂にお参りすると「紛失物が見つかる」「裁判などの係争が早く解決する」などといわれ、霊験あらたかな廟になっている。

「火葬場の鬼」が陳賢源氏との交流を通して「神様」になったのだ。

怪奇現象は戦死者が自分たちの存在を知ってもらおうと必死の想いで起こしたのだろう。
陳賢源氏がいなければ、戦死した日本兵は「災いをもたらす火葬場の鬼」の汚名を着せられたままだったろう。

他人からどのように見られようと、戦死者を祀り続けた陳賢源氏のような存在をしっかり記憶しておきたい。

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